「ああ、こんなところに居たのか」
崖下に広がる暗く深い森に、ひっそりと横たわる骸を見つめ小さく呟いた。奇妙な形をした岩々のせいか、崖上は気流が乱れていた。荒れる気流に翼をすくわれて墜落してしまったのだろう。木々はクッションの役割を果たしたようだが、打ち所が悪かったのも事実であった。念のため、脈拍と呼吸、それからランプに火を灯して瞳孔を確認するが、案の定反応は無かった。ランプを地面に置き、抱え上げた頭から零れる赤い雫が手袋を染める。
「頸椎損傷起因の呼吸困難による窒息か。…苦しかったろうに」
広げた白い布の上に、抱えた遺体を横たえる。せめてもの慰めにはなるかと、包帯を頭部に巻き止血をし、曲がった翼をこれ以上傷が付かないように丁寧に折りたたんだ。薄れる意識の中、最期に何を思ったのだろうか。道半ばで倒れることへの無念だったのか、飛行家冥利に尽きるという満足感だったのか。冷淡になれないのは、業務に差し支える悪い癖だ。推し量ったところで、自らが直面しなければ永遠に分かるはずもない、と自嘲した。
ふと、辺りを見回して、何の気配もしないことに気が付いた。これだけ血の匂いが充満していれば、肉食の固有種が寄ってきてもおかしくはないだろうに、生き物の気配が殆どしない。木々の葉が擦れる音だけが、夜の森に響いていた。狩猟を目当てに空中島にやってくる飛行家も多いと聞くが、それにしてもここまで静かなのは珍しい。この島の固有種は高値が付くのだろうか。そもそも数が少ないのだろうか。手は動かし続けたまま、取り留めのない思考にしばし耽る。
だから、背後に近寄っていた人の気配にぎりぎりまで気が付くことができなかった。何者かが砂利を踏みしめる音でようやく我に返る。警戒度と連動して、ランプの火が大きく燃え上がった。
『何をしている?』
青い炎が照らした先に、白と青灰の翼を持った一人の男が見えた。こちらに照準を合わせていた光の棘が向きを変え、男の周りを飛び回り軌跡を残す。言葉の代わりに、光が文字を型取っていた。
「…見れば分かるだろう。死体漁りだ」
『盗人の類であれば、死者に祈りを向けたりしない』
「…仕事、とだけ」
『崇高なことだ』
何時から見ていたのか、という疑問は飲み込み、何処かに行ってくれ、と思いを込めて放った言葉であったが、残念ながら効果は無かった。それどころか、男の興味を惹く結果となったようだった。しばしの沈黙を是と受け取った男が、翼を外套に変え近づいてくる。こちらが屈みこんでいるのもあるが、随分と上背があるようだった。男の視線はこちらの手元に注がれているようで、少々居たたまれない気持ちになる。
『明かりが見えたものだから。驚かせたのならすまない』
「夏の虫だな。…見ていて気分のいいものではないだろう」
『さっきも言っただろう。崇高なことだ、と』
骸に祈るような形をとらせ、これ以上、何も零さないようにと布で全てを包み込んだ。迷わず、還れるように。最後に、こちらも祈りを込めて両手を合わせる。一区切りがつき、小さく息をついた。振り向けば、興味深そうにこちらを見ている男と目が合った。こちらからすれば度々行うこの作業も、男の目には物珍しく映るようだった。
『道半ばか、道の先か。倒れたときに、お前のような優しい者が葬ってくれるというのは、幸いなことだと思う。俺も、そうあればいい』
不意に、こちらの一挙手一投足を見ていた男の周囲に、再び光の軌跡が浮かび上がる。そもそも、こんな所を他人にじっくりと見られたことが無い。面喰って一瞬言葉に詰まるが、それでも何とか返事を絞り出した。
「…万が一の時は。だが滅多なことは言うな。その軌跡にも言霊が乗るようなことがあれば敵わない」
『言霊か…そうだな。なら俺は、その灯りを目指して帰ろう。生きていても死んでいても、誰にも見つからないのは寂しい』
「…では、俺もまだ、燃え尽きるわけにはいかないということか。夜空に浮かぶ導きの星、とまではいくまいが…」
『導きの星でなくとも、俺のような流れ者にとって、これほど頼れる灯りはないな』
その言葉に、文字通り目の前に火花が散る。事務的でない、他人との会話は数ヶ月ぶりで、感情が昂ると意図せず魔法が出ることがある、という自分の癖を失念していた。右目を長い前髪で、顔の半分を仮面で隠し、まともに露出しているのは左目だけだというのに、感情が筒抜けになる恥ずかしさから視線を逸らす。それが仇となったのか、気が付けば至近距離に男が寄ってきていて、こちらを見下ろしていた。軌跡の文字が矢継ぎ早に紡がれる。
「近、いって」
『ところで、その灯りはお前の魔法か?ランプも同じ原理で?先ほどの火花もか?…今度、聞かせてもらえないだろうか』
「今度」
『引き留めてすまなかった。今は先を急ぐ身だろう?』
「…そうだな。腐りが降りかかる前に戻らなければ」
突風はまだ吹いていない。まだ暫く、島が消える気配はなさそうだった。男はもう暫くここに留まるのだと、軌跡の文字で綴った。布に包まれた物言わぬ体を抱き上げ、炎と共に空に飛び上がる。まだやることは山積みだ。去り際に一つ、星が降る。誘導された視線の先に、軌跡を操る男が見えた。
『そうだ。また会うときに分かるように。灯りを』
「分かった。灯しておく」